マイ宗教
振り返ってみると、私の人生は願かけで溢れていた。
幼少期:寝る前に神さまにお願いごとをする(家族がいなくなりませんように、など)
小中高:一本のシャープペンを使い続けて、試験で使用する。シャー芯の最期、短すぎてぷにぷにして書けない長さの芯を集めてお守りにする
大学受験:試験監督の目を見つめて、パワーを受け取っていると感じる
今でも、勝負ボールペン、勝負服、勝負下着、勝負コンビニスイーツ、など、私の生活は願かけで縛られている。
決断を迫られるとぐだぐだ迷い続けはするものの答えはこれなんだというのが最初から決まっているし、こういうときはこうするというルールが結構ある。
私は特定の宗教を信仰しているわけではないが、振り返ってみると、このようにずっと私だけの宗教、マイ宗教をつくり上げてきたのだと思う。
自分だけの宗教を用意しない人には、構成が少しずつ異なる宗教が世の中にあまた用意されている。
俯瞰してみてみると、神さまの定義や、やったほうがいいこと、やってはいけないこと、決断の仕方、など、テーマに沿ってそれぞれの宗教が信者に答えを与えている。
結局どんな宗教であっても、それを信じる人が規定を遵守することで「私は大丈夫」という自信をもつことができ、この強い自信を持って取り組むからこそ、物事が好転するのだと思う。
自分ができる限りのことはしたと言い切れることが何よりも大切である。
たとえ物事がうまくいかなかったとしても、それは自分のせいではなく、そういう運命だった、そういう導きだったととらえて、次に進むことができる。
宗教ってくさいもの扱いされがちだけど、各テーマに対してその宗教がどんな答えを用意しているかを知るのは、おもしろいと思う。